福山・府中 自宅葬・花葬儀のことなら花むら

福山花むらの花葬儀は、大好きな自宅で、大好きな人たちと花に囲まれながら、最期のときを一緒に過ごす特別なお別れの場を提供しています

住み慣れたご自宅で、故人とご家族の最期の時間を、花に囲まれて過ごしていただきたい。
心から別れを惜しむ、大切な場を「花葬」という形にしてご提供いたします。
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花葬儀

大切な人との最期の時間を大切に。自宅葬・花葬儀をプロデュースする福岡史花です。

 

父の葬儀を行なって早いものです

今年5月で丸3年が経ちます

自宅でゆっくりと通夜、葬儀が出来た事がどれほど私達姉妹にとって良かったかを、お伝えしていたお友達のSさんのお父様が、先日お亡くなりになられました。

昨年11月に

家族葬良いですね、もし父が亡くなるような事があれば、史花さん花葬儀でお願いします」と

まさか2ヶ月先の話になるとは思っていませんでした。

 

Sさんのお父様はとてもエネルギッシュな方で一代で会社を築かれたそれはそれは福山でも有名な方でした。私としては、本当に家族葬で良いのかを何回も確認させて頂き、「父の希望でもあるし、家族みんなで葬儀をしたいです」と強く望んでおられたので、それなら是非と打ち合わせをしたのが11月の終わりでした

 

我が家は父の部屋で通夜も葬儀もしましたが、Sさんは自宅で通夜、葬儀はお寺を希望されていたのでお寺のご住職に相談に行かれました。

聞けばお寺での葬儀は7年ぶりとの事、葬祭会館での葬儀が主流になって、お寺で葬儀をするという事が出来ないと思われてる方もおられるとか。

昔はお寺や自宅での葬儀が主流でしたが、家の片付け、駐車場の手配など考えなくても便利な会館でのお葬儀が当たり前になってしまった結果だと思います。

会館でなくても通夜、葬儀出来ます

これからSさんのお父様の通夜、葬儀の流れをお話ししたいと思います。

 

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fukuyama-hanasou.hatenablog.com

 

お通夜から葬儀まで〜花葬儀のプロとして娘としての最期の時〜

こんにちは。

大切な人との最期の時間を大切に。自宅葬・花葬儀をプロデュースする福岡史花です。 

父が緊急入院した日から1ヶ月経ちました。
入院した日は意識不明の状態でビックリしましたが、私が駆けつけたときには意識が戻っていたので、安心したのを思い出します。
 
あの時点ではしばらく入院すれば何とかまた暮らせる気がしていましたが、その5日後亡くなるとは……
f:id:fukuyama-hanasou:20160614153824j:image 今回は具体的にお通夜から家族葬をどのように行ったかを書いていきます。
これまでの様子はこちらから
家族葬も葬儀社さんに連絡する方法もありますし、我が家のように葬儀社さんに相談せずに家族の考えで出来ます。
 
決めなければならない事は、いっさいありませんでした。
会葬礼状も御香典をお断りしてましたので、用意しませんでした。
祭壇のランクもありません。
 
お通夜という形ではなく、枕経として来て下さったので、親族も10人くらいでお経を唱えました。
お通夜の振る舞いも近くのお弁当屋さんに頼んでみんなで思い出話をしながら食べました。

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父が亡くなったことを普通は組内の方にお願いして連絡してもらいますが、今回は家族葬とうことでどうしてもお伝えしなければならない方にのみ私が連絡しました。
 
いつも父の様子を気にかけてくださって登録してあった数名の方と、両親がお仲人をした方々だけに電話連絡をしました。
 
お電話すると、
「つい1週間前に話をしたばかりでしたのに」
と言われて驚かれた方が2人もいらっしゃいました。
そして、
「もう先生とは65年来のお付き合いなんですよ。先生を兄のように慕ってました。」
「先生の初めての教え子なんですよ。先生には人に言えないことが何でも話せました。」
と私知らない父の話を色々聴かせてもらえることが出来ました。
 
父母が現役を離れて30年もたっているのに皆さんに慕われて、なんて幸せなんだろうと思いました。
 
家族葬なので、最期に会ってもらえるのは斎場で火葬前の時間です。
皆様にはその時間をお伝えしました。
 
その晩は妹夫婦と近くに住む叔母と私達家族3人で、若かりし頃の両親の楽しそうな写真を見ながら、小さい頃の事や父と母のエピソードなど思いながらお線香の火を見守りました。
 
葬儀は20日の1時からでしたので火葬時間は3時に予約しました。
1時からの葬儀はお願いしていたお寺さんにお務めをしていただいて、初七日までしていただきました。
 
喪主としての挨拶も親族に向けて、今までの感謝と私の父への思いを話すと、涙が込み上げてきて言葉にはなりませんでした。
やっぱり父にとっては親不孝の娘でした
 
出棺の時は一階に用意した棺まで父を運んで家族で花でいっぱいにして納棺しました。
父に触れる事が出来る最期です、冷たくなった父の顔を撫で、「ありがとう」とやはり感謝の言葉しか出ませんでした。
 
斎場に着くと、お知らせしていた教え子の方々や父が仲人した方々が遠方より最後のお別れに来てくださっていました。
有難い事です。
 
人生最後の幕の下ろし方は様々な形があると思います。父のように家族で見送って欲しいと希望される方も多いと思います。
 
自分がどのように送って欲しいかエンディングノートに記しておく事で自分スタイルのお別れの会(葬儀)が出来ます。
 
今回父の葬儀を通して、私自身の体験をお伝えする事でなお一層「家族葬のお手伝いをさせて頂きたい!」という思いが強くなりました。
 
最後に、今回家族葬をするにあたり、私の思う葬儀をかげで支えてくれた主人に感謝です。
 
                                                                      合掌
                                         
 
この24時間が私達家族に与えられた最後の時間です。

祭壇の準備〜花葬儀のプロとして娘としての最期の時〜

こんにちは。

大切な人との最期の時間を大切に。自宅葬・花葬儀をプロデュースする福岡史花です。
 
父とのドライブを終え福山の自宅に帰ったら、私が花祭壇をして自宅で葬儀をする際にお願いしている、福山寝台車  さんで棺桶と枕飾り一式と遺体に置くドライアイスを用意してすぐに駆けつけてくださっていました。
 
我が家は1階が店舗2階3階が住居となっているため、父を入棺して2階から1階へ運ぶ事が出来ませんでした。
そのため葬儀終了まで布団に寝かせたままで、1階で入棺してお別れをするという形にしました。
 
父を寝かせる布団は用意してましたので枕飾りの準備は時間をかける事なく出来ました。
 
部屋の片付けはどうしてたかというと、入院して主治医の先生のお話があった晩、油断が出来ない状態です。と言われた16日の晩に自宅で葬儀をすると決めていたので父の部屋と隣の私達夫婦の部屋の物をすべて移動し、いつ父を連れて帰っても良い状態に。
 
幸い我が家は大きな家具が無かったので、そこまで時間をかけなけても片付けは出来たように思います。
それと、有難いことに父とドライブをしている間に、叔母と従兄弟の奥さんとで2階と玄関周りの掃除をしてくれていたので助かりました。
 
自宅での葬儀の場合はこのように部屋の物を移動したり片付けをしなければならないので、最近は病院からすぐに葬儀社さんの安置室に搬送して会館でお通夜、告別式をされる事が多くなりました。
 
確かに手が掛からないので楽ではありますが、家族葬にする場合はそこまで広い部屋も要らず、親族のみんなが集まれるスペースがあれば充分自宅で葬儀も可能です。
 
駐車場の心配もありますが、我が家は近くの有料駐車場を利用し葬儀は26人で行いました。
 
何よりしなくてはならない事は、市役所に病院で頂いた死亡診断書をコピーして、死亡届を出し斎場の予約をしなくてはいけません。
 
帰った時間が5時をまわっていたので、届けは20日の朝一番でしなければなりません。私が行けなかったので、そこは知人にお願いして手続きをしました
※死亡届などは、身内以外でも提出可能です。
 
お寺さんのお茶の準備など、家の勝手が叔母や妹ではよくわからないので細々した事をしているうちに6時を周り、祭壇の花の準備を始めたのが6時半近くになってしまいました。
 
菊の植え込みをとも考えましたが、そこまでのスペースもないし短時間で作らなければならなかったので、父の花祭壇はスタンド花を2本作り写真周りを3トレーのアレンジで飾りました。
 
菊は全く使わず父らしいスッキリした感じに仕上げたかったので、色も白とブルーと黄色そしてグリーンのみで仕上げました。
親戚の者達も父らしい素敵な花祭壇だと言ってくれたので安心しました。
 
バタバタでしたがドライブから帰って1時間半くらいで、お寺さんが来られる時間までに祭壇の準備を終えることが出来ました。
 
#花祭壇
花材  ナツハゼ  ニューサイラン  ユリ カーネーション デルフィニューム  コチョウラン  オンシジューム ヒマワリ  スターチス  アルストロメリア  レザーファン  アレカヤシ  
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花葬儀・自宅葬をプロデュースする花職人の「父をおくる」、これまでの様子はこちらから。

父とのドライブ〜花葬儀のプロとして娘としての最期の時2〜

こんにちは。

大切な人との最期の時間を大切に。自宅葬・花葬儀をプロデュースする福岡史花です。
 
89年の生涯を閉じた父は現役時代は中学校教師をしていました。
神石で生まれ育ち、母が昔では珍しく1人っ子であったため養子に来たのが65年前のことです。
 
その当時の事を親戚の叔母達に聞くと、それはそれは大恋愛の末の結婚だったとか。
 
父の両親が頼むから養子には行って欲しくないと頭を下げて頼んだのを振り切って、若林(私の旧姓)の養子として母と一緒になったそうです。
 
1年半前に私と同居をすることになり福山市民となってからは、父の実家である神石高原町の近田にも三和の自宅にも帰ることのない生活をしていました。
 
その事を思うと、もう一度父の実家と我家に連れて帰りたいという思いが湧いてきて、もし息を引きとる時間が日中であれば、「神石に連れて帰ろう!」と妹と決めていました。
 
そして段々呼吸が浅くなりご臨終ですと告げられたのが、午後0時20分だったので搬送車は頼まず私の車で連れて帰ることを看護師さんに伝えました。
 
私達姉妹が思ってたことが伝わったのか、父も帰りたかったのかわかりませんが、ドライブするにはとっても良い天気でした。
 
入院していた病院が市内北部だったので、神石に帰る時間も短く、福山に連れて帰る前の2時間コースでしたので、父の体を綺麗にしてもらって着替えができたらすぐに私の車に乗せて出発しました。
 
最初に父の生誕の地である仙養ヶ原周辺のコースを叔父の話を聞きながら回りました。
 
私も知らなかった事ですが、父と母が教員時代知り合ったのが仙養中学校だったとか。
廃校にはなってますが、まだ建物があるというので、上がってみました。
古い校舎はそのままで、父も懐かしくて昔話でも始めそうな気がしました。
 
そこからの山並みはとても美しく、この景色を見ながらまだ独身だった両親がどんな話をしていたのか、聞いてみたくなりました。
もっと早く連れてこれたらと、後悔です。
 
両親の恋愛時代の事はかなり有名だったと聞いてはいますが、具体的な事は娘には話してくれなかったので、本人の口から聞きたかったです。
そこを後にして父の実家の前を通り、仙養ヶ原のゴルフ場を通り、三和の自宅に向かいました。
 
自宅で亡くなれば組内(隣組)のみなさんが葬儀を仕切ってくださいますが、今回は福山の家で家族葬をする事にしていましたので、事前に元の自宅の両隣のお宅には電話連絡をしておきました。
父の遺影や仏壇の御本尊様を取りに帰るので、時間があれば会って貰えればとお伝えしていたら、ずっとお世話になってる4軒のみなさんと、今年の父の誕生日を一緒にお祝いしてくれた友人が、私達の帰宅を待っていてくださいました。
そして父との別れを順番にしてくださいました。
 
父が福山に転居する時にご挨拶した方、してない方もおられて「最期に会う事が出来て本当に良かった。知らせてもらってありがとうございます。」と言って下さいました。
 
父の功績や神石での教え子の皆さんや同僚の先生、友達、校長会での繋がり、お世話になった方々の事を考えると、家族だけで葬儀をするという事は、父の最期に会って頂けなかった方々にはとても申し訳ない思いでいっぱいです。
 
しかし父も現役を退いて30年、本人も家族だけで見送ってもらえればそれが一番だと常日頃から話をしていたので、迷いなく福山の家で自宅葬にする事にしたのです。
 
ゆっくりお別れをしたかったのですが、途中お寺に連絡して通夜はせず、枕経をお願いした19時までには祭壇の準備を終えるためにも、なんとしても5時には帰らないといけなかったので、皆さんにお礼を言って福山の家に向かって4時過ぎに出発しました。
 
こうして涙しながら、また笑いながら、父との最後のドライブをしました。
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今回の父の最期に関しては、私が勧めている花葬儀、自宅葬の一例として、ブログで順を追ってお伝えしていきます。

 前回の記事はこちらです。

www.fukuyama-hanasou.com

 

 

父の死〜花葬儀のプロとして娘としての最期の時〜

こんにちは。

大切な人との最期の時間を大切に。自宅葬・花葬儀をプロデュースする福岡史花です。
 
私事ではございますが、
5月19日木曜日12:20父が天国に旅立ちました。
89歳と3ヵ月 享年90歳で、誤嚥性肺炎という高齢者の死因では多い病気で亡くなりました。
 
14日土曜日に緊急入院し、あっという間の6日間でした。
まさか誤嚥していたとは思ってもみませんでした。
 
もともと好き嫌いが多く、食べれない物の多い父だったので、食事をちゃんと食べてくれない事が私の悩みの種でした。
 
しかし、14日の朝食は珍しく綺麗に全部食べてくれ、私もとても安心してショートステイに行く準備をし、お迎えに来てもらって、施設に着いて1時間もしないうちに、「意識不明になられたので救急車で搬送します」と連絡をもらった時は、何がどうなったのかわからず、元気で出掛けた父からは想像できない状況でした。
 
病院に着くとなんとか意識は回復していましたが、先生より病気の事を聞くと高齢でもあり油断出来ない状況だと言われました。
 
しかし、その日は意識もあり家族とも話す事も出来、まさかそのまま数日で亡くなる感じは全くありませんでした。
 
入院時先生が言われた通り、次の日から日に日に呼吸が苦しくなり、状態が悪くなり最期は娘と孫が見守る中、静かに眠るように息を引きとりました。
 
父の希望もあり家族のみでの葬儀を行いました。
 
これから父との24時間の過ごし方と葬儀までの流れをお伝えしたいと思います
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